作者の想い、作者への想い

写真入りメッセージカードを作って、先生にプレゼントしてみました。

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先月のことですが、私の所属する合唱団の演奏会があり、演奏会の後、パートのメンバーと先生、伴奏者さんと一緒に写真を撮りました。

先生と一緒に写真を撮ったのは10年ぶりか、それ以上か。

 

先生の教職退職の年に私は成人。

あれから20年経って、先生は傘寿、私はその半分の歳になって一緒にステージに立った、記念すべき第11回演奏会。

 

高校生のときから先生の指揮で歌い始めて、もう25年。

新しい楽譜を渡されては、すぐに合わせ、なんてことを繰り返すうちに、私たちはずいぶん初見で歌えるようになりました。

先生には、まだまだお世話になりますよ!

 

さてさて、演奏会が終わって2週間後から、新しい曲の練習がはじまりました。

 

『いつかの木から』(みなづきみのり・詩、北川昇・作曲/音楽之友社

からは、「はるるる」「五月の雨」「夏の海」「雪の思い出」。

『少女のまなざし2』(金子みすゞ・作詩、石若雅弥・作曲/マザーアース)からは、「お日さん、雨さん」「日の光」を。

『光る砂漠』(矢沢宰・作詩、萩原英彦・作詩/カワイ出版)からは「秋の午後」を。

週1回の練習で、1か月の間に7曲進みました。

この間の演奏会で歌った『海鳥の詩』(更科源蔵・作詩、廣瀬量平・作曲/カワイ出版)の「オロロン鳥」「エトピリカ」を10月の市民合唱祭でも歌うので、その2曲の練習も合間に挟みながら…。

しばらく休んでしまうと大変です。

 

北川昇さんの曲を歌ったのは、私は初めてだと思いますが、優しい、新鮮な感じがする曲ですね。若々しく歌いたい曲です。

 

石若さんの曲は、この間の演奏会で、合唱用にアレンジされたポピュラー曲を2曲歌いましたが、『少女のまなざし2』の曲は、ポピュラー曲とは印象が全然違います。当たり前といえば、まぁ、そうなんですけど。

いかにも金子みすゞさんらしい、少女の素直で純粋な感覚が表現された詩(金子みすゞさんと言えば、「私と小鳥と鈴と」が有名ですね)。その詩にピッタリな、かわいらしく、優しいメロディーと伴奏。

石若さんて、私より若いんですよね~。

この、『少女のまなざし2』からは、「雪」「このみち」も歌います。

 

そして、『光る砂漠』。

この曲集からは、10年ほど前の第5回演奏会で、「再会」「恋の詩でも読んだあとのように」「早春」「秋の午後」の4曲を歌いました。

その中から「秋の午後」を再び。

「さびしい道」と「ふるさと」もこれから歌う予定です。

 

詩を書いた矢沢宰さんは、21歳という若さで亡くなっています。

子供の頃に腎臓結核を発症して、入退院を繰り返していたんですよね。

自分の命、死と向き合いながら、日記や詩を綴っていたのでしょうね。

どんなに明るい曲調である「秋の午後」を歌っていても、病の床で、絶対安静を強いられながらも詩を書き続ける矢沢さんを、どうしても想像してしまいます。いい加減な気持ちでは歌えません。けれど、決して暗い、悲しい歌い方はしません。萩原さんが、この詩に最もふさわしいメロディとコーラスと、伴奏を、精魂込めて、作曲してくださったのですから。

 

萩原さんの曲は今までに何度も歌っていますが、叙情的な曲をたくさん作曲されていますね。

矢沢さんの詩に萩原さんが作曲。

あまりに相性が良すぎて、泣けそうになるフレーズがいくつもあります。

 

「秋の午後」。

病の床。生と死。秋の~やさしい日の光が~包み込むものたち。

この曲と、これから新しく歌う2曲は、矢沢さんがどんな想いで詩を綴ったのか、萩原さんが、矢沢さんの想いをどんなふうにして表現し、伝えようと思ったのか。お二人の気持ちをこの曲の中に感じ取りながら歌っていきたいです。