光る砂漠「ふるさと」

光る砂漠の最後の曲、「ふるさと」(詩・矢澤宰さん/作曲・萩原英彦さん)。
この曲の合わせがおとといから始まりました。
優しく繊細な詩。澄んだ、穏やかなメロディー。時に激しく、切迫し、静寂がおとずれ。
美しく大きな山々を目の前にして歌っているように感じたり、果てしなく広い草原の中で、風に吹かれているように感じたり。矢澤宰さんの病室が浮かんだり。

私の担当パートはソプラノ1ですが、おとといは2のパートの人数が足りなかったので、助っ人で2パートも数小節歌いました。
とてもきれいなメロディーだし、歌詞もなんだか神秘的で崇高な感じがするのですが、よくよく歌詞の意味を考えてみたら、どういうことなのかよくわからない…。意味がわからないと歌に入り込めないので、自分なりに分析してみました。

助っ人で歌ったフレーズの歌詞は、「水は白い壁と共に 天井と共に 命の中にあり」。
ふるさとの詩に「壁」だとか「天井」だとか、人工的なものが何故出てくるのだろう、と不思議に思ったのです。
矢澤さんと縁のある「壁」・「天井」とは?
しばらく考えて、思い当たったのが、矢沢さんの病室。病室の「壁」と「天井」。絶対安静の身の矢沢さんの視界の中にいつもあるもの。水は、その「壁」と「天井」と共に、自分の「命の中」にある。

「ふるさとの山にあった」と続きますが、その水は「ふるさとの山」にもあった、ということでしょうか。

続いて、「苔むした岩肌をたたき その響きは命の中にも流れていた」というのは、流れる水が、ふるさとの山の苔むした岩肌を、滴りたたいていて、その響き(を生み出す水)が自分の命の中にも流れていた。
そう考えていくと、その後の歌詞とのつながりもしっくりきます。

「二つの水が混ざったとき」とは、ふるさとの山に流れる水と、病室にいる自分の命の中の水が混ざる、一致するということでしょうか。ふるさとから離れたところに身を置きながらも、ふるさとと繋がっていた、というようなニュアンスを感じます。

「まぶしい輝きをおぼえ 山に水を返した」というのは、自分の命の中に流れる水をふるさとの山に返す(帰す)、流す、つまりは、自分の内側にある命はふるさとの地と共にあることを意味するのかなぁと。

私の勝手な解釈なので、全然違うかもしれませんが。

もしそういう意味だとしたら…と考えたら、ゾクゾクするような感動がこみ上げてきました。
意味を考え、感じながら歌うと、表現の仕方も広がりますね。
大切に歌っていきたいと感じている一曲です。