ドラえもん?

f:id:chi-hana-sonata:20191127101413j:plain
次男が6歳のときに、ホワイトボードに描いたドラえもん(笑)これ、私のお気に入り。

つい笑ってしまうけど、私は次男のことを笑える立場ではない。
長男が3歳のとき、「ドラえもん描いて!」って言われて描いてみたら、全然似てなかった(笑)

子供の頃、さんざん観てたのに、何故描けない(・・?
輪郭は似たように描ける。目とか、口とか、それぞれのパーツもちゃんと覚えてる。なのに、それぞれのパーツを配置してみると…全然ちがう(笑)

一度、お手本見ながら描いてみたら(目はここだったのね〜、と思いながら)、それからはお手本なくても、「それなり」には描けるようになったけど。

1度見たことあるってだけで、上手に描けちゃう人もいるけど、そういう人は、特徴のとらえ方が違うんだろうな〜。
パーツの距離感とか、配置とかまで見てるのかな。
そういう人は、字も上手に書けそう。
私なんて、無意識に書くと、漢字の偏(へん)と旁(つくり)の間が空きすぎて、偏と旁がそれぞれ別々の文字みたいに見える(・・;)

ちなみに、ドラえもんを描いてから数カ月。現在7歳の次男くんの、にゃんこ大戦争のキャラクターの絵。
f:id:chi-hana-sonata:20191127105029j:plain
成長したかな?
この絵はお手本見ながらだけど。

とっても癒やされるので、当分は、こんなゆるい絵を描いていてほしいな〜。

予防接種で内出血!

予防接種したところに大きな内出血が!
f:id:chi-hana-sonata:20191125120117j:plain


私は毎年欠かさず、子供たちと一緒にインフルエンザの予防接種を受けに行っています。
予防接種していても、割とインフルエンザにかかるんですけどね。“お守り”感覚です。

小学生になると帰りが遅いし、習い事もあるしで、なかなか時間が取れないのですが、学習発表会の後の振替休日を利用して、今年も予防接種を受けに行ってまいりました。

インフルエンザの予防接種は、毎回、注射したときよりも後の痛みがつらいので、行くとなると、子供たちは「え〜」と気だるそうに言います。が、本人たちも仕方のないことと心得ているので、無駄な抵抗はしません。
そんな今年の痛み具合は。

注射のときの痛み
兄→痛くない。
弟→痛い。
私→痛痒い。

注射後
兄&弟→痛くない。
私→1時間くらい、すごく痛痒い!

とまぁ、こんな具合でしたが…一晩したら、私の痛痒さもおさまっていたので、次の日は、注射したことすら忘れていました。

ところが、夜になっておフロに入るとき、鏡に映った自分の左腕を見てびっくり!
まるで殴られたみたいなアザ!

予防接種の後、「2〜3分押さえる」とき、あんまり痛痒かったんで、多分強めに押さえてたんですよね。それでかな〜。

1週間経って、内出血はまだそんなに治っていませんが…それでも幾分小さくなったかな。痛みもないし、内出血が広がるわけでもないので、放置です。内出血は、治るのに時間がかかりますからね。

近々コンサートとかなくて良かったです。袖なしドレスだと腕が見えちゃうから。

子供たちの予防接種2回目はまだこれからですが、うちの子たちが通う小学生で、学級閉鎖第一弾、出ました〜。先程学校からメールが届いたところ。今年は流行るのが早いですよね。

インフルエンザウイルスと医療。
戦いはまだ何十年と続くのでしょうか。

PTA副会長

来年度、PTA副会長をやることになりました。
立候補じゃないですよ。
でも、こういう機会をいただいたからには、楽しくやろうと思っています。

前年度に、PTA委員をやって、つい数カ月前に次の方に引き継ぎをしたばかりだったので、まさか副会長選に呼ばれるとは思っていなかったのですが…互選会のお知らせがきたときには、ひぇ〜!
最初は断る理由を考えようと思ったんですけどね。理由を考えることに時間を費やすのが、もったいない気がしてきて、考えるのはやめたんです。

私、人生の節目節目に起こる、自分にとって大きな出来事は、最初から結果が決まっていて、どんなに足掻いても変えることができない、って思うようにしてるんです。
最初から結果が決まっているなら、ある事態を何とか回避するために、たくさんの労力を費やす必要がないし、事が起こった後に、あのときああしておけば良かった、こうしておけば、あんなことにはならなかったのに…なんて後悔しなくていい。
どうにも変えられないことにたくさんの労力を費やしたり、後悔を引きづるより、ワクワクしたり、心ときめくことに、精神も体力も使ったほうがいいと思ったんです。

「すべては偶然じゃなく、必然」
私が尊敬するピアノ講師の方から教えていただいた言葉です。いつも冷静で、何があっても動じない先生。先生のピアノの音はとても抒情的で感情が揺さぶられるのに、演奏している本人はいつも冷静。とても不思議で素敵な先生。私の今の考え方の根底にはいつも、この「必然」という言葉があります。何があっても「これは必然なんだ!この後に起こる素敵な出来事のために、どうしても必要な準備段階なんだ!」そう思うことで、乗り切ることができます。先生、ありがとう!

若い頃は、いわゆる「無駄な抵抗」も「後悔」もたくさんしましたけどね。そういう経験をたくさんして、今にたどり着けたので、「無駄な抵抗」は決して無駄ではなかったのです(^^)

超人じゃないので、不安な気持ちがよぎることももちろんありますが、そんな気持ちは1%にとどめて、期待を胸に、楽しくいこうと思います。
PTA執行部の任期の期間中、どれだけたくさん笑えるか。人生、楽しんだもの勝ちです(^^♪

光る砂漠「ふるさと」

光る砂漠の最後の曲、「ふるさと」(詩・矢澤宰さん/作曲・萩原英彦さん)。
この曲の合わせがおとといから始まりました。
優しく繊細な詩。澄んだ、穏やかなメロディー。時に激しく、切迫し、静寂がおとずれ。
美しく大きな山々を目の前にして歌っているように感じたり、果てしなく広い草原の中で、風に吹かれているように感じたり。矢澤宰さんの病室が浮かんだり。

私の担当パートはソプラノ1ですが、おとといは2のパートの人数が足りなかったので、助っ人で2パートも数小節歌いました。
とてもきれいなメロディーだし、歌詞もなんだか神秘的で崇高な感じがするのですが、よくよく歌詞の意味を考えてみたら、どういうことなのかよくわからない…。意味がわからないと歌に入り込めないので、自分なりに分析してみました。

助っ人で歌ったフレーズの歌詞は、「水は白い壁と共に 天井と共に 命の中にあり」。
ふるさとの詩に「壁」だとか「天井」だとか、人工的なものが何故出てくるのだろう、と不思議に思ったのです。
矢澤さんと縁のある「壁」・「天井」とは?
しばらく考えて、思い当たったのが、矢沢さんの病室。病室の「壁」と「天井」。絶対安静の身の矢沢さんの視界の中にいつもあるもの。水は、その「壁」と「天井」と共に、自分の「命の中」にある。

「ふるさとの山にあった」と続きますが、その水は「ふるさとの山」にもあった、ということでしょうか。

続いて、「苔むした岩肌をたたき その響きは命の中にも流れていた」というのは、流れる水が、ふるさとの山の苔むした岩肌を、滴りたたいていて、その響き(を生み出す水)が自分の命の中にも流れていた。
そう考えていくと、その後の歌詞とのつながりもしっくりきます。

「二つの水が混ざったとき」とは、ふるさとの山に流れる水と、病室にいる自分の命の中の水が混ざる、一致するということでしょうか。ふるさとから離れたところに身を置きながらも、ふるさとと繋がっていた、というようなニュアンスを感じます。

「まぶしい輝きをおぼえ 山に水を返した」というのは、自分の命の中に流れる水をふるさとの山に返す(帰す)、流す、つまりは、自分の内側にある命はふるさとの地と共にあることを意味するのかなぁと。

私の勝手な解釈なので、全然違うかもしれませんが。

もしそういう意味だとしたら…と考えたら、ゾクゾクするような感動がこみ上げてきました。
意味を考え、感じながら歌うと、表現の仕方も広がりますね。
大切に歌っていきたいと感じている一曲です。

ついに引越し!〜コウモリ対策・完?〜

子どもたちが夏休みで自分時間が作れなかった1か月とちょっと。
前回のブログからだいぶ日が空いてしまいました💦

実は、我が家にいたコウモリさん、どこかへお引越ししたようです!

暑い夏、手袋やマスクをして、汗だくで2階の窓のフン掃除をする毎日は、ほんとうに大変でした。
毎日スプレーしても、帰ってきてしまうので、我が家から出ていくことはないだろう、と諦めていましたが。

ただ大変なだけではもったいない(?)ので、子供の夏休みの自由研究の題材にしてしまいました。
図書館で、コウモリの生態について書かれた本を6冊借りて読み漁り、子供も私も、コウモリに関しては随分くわしくなりましたよ。
コウモリは、日没から一斉に活動し始めるそうなので、薄暗くなり始める19時頃に、外に出て探しに行くことにしましたが…探しに行くまでもなく、あちらこちらにコウモリが飛び交っていました。
道路際の外灯や、すぐそばの公園の街灯のそばを行ったり来たりしているコウモリたち。外灯に集まる虫を食べているんです。

近くにこんなにたくさんのコウモリが住んでいたとは…。今まで、気にして見ることがなかったから、気が付かなかったんですね。

そういえば、8月の初め、夜10時過ぎに窓の外を見てみたら、コウモリさんが4匹で、うちの庭を仲良く(?)、繰り返し旋回していました。1匹だったはずが…子どもが生まれていたのね〜。子どもが成長したから、親子で飛ぶ練習してるのね〜。微笑ましいわ〜。…なんて思っていたけど、その頃から、フンの量も増えてきたので、とても複雑な気持ちに。それで、やっぱりお引越し願いたく、スプレーすること数日。コウモリファミリー、戻ってこなくなりました。どこに引っ越したのか、少し気になりますが、フン掃除という日々のお仕事がなくなったので、とりあえずはめでたしめでたし、なのかな〜。
毎年5 〜6月の間は、棲み着かれないように気をつけなくちゃ!

作者の想い、作者への想い

写真入りメッセージカードを作って、先生にプレゼントしてみました。

f:id:chi-hana-sonata:20190724130720j:plain

 

先月のことですが、私の所属する合唱団の演奏会があり、演奏会の後、パートのメンバーと先生、伴奏者さんと一緒に写真を撮りました。

先生と一緒に写真を撮ったのは10年ぶりか、それ以上か。

 

先生の教職退職の年に私は成人。

あれから20年経って、先生は傘寿、私はその半分の歳になって一緒にステージに立った、記念すべき第11回演奏会。

 

高校生のときから先生の指揮で歌い始めて、もう25年。

新しい楽譜を渡されては、すぐに合わせ、なんてことを繰り返すうちに、私たちはずいぶん初見で歌えるようになりました。

先生には、まだまだお世話になりますよ!

 

さてさて、演奏会が終わって2週間後から、新しい曲の練習がはじまりました。

 

『いつかの木から』(みなづきみのり・詩、北川昇・作曲/音楽之友社

からは、「はるるる」「五月の雨」「夏の海」「雪の思い出」。

『少女のまなざし2』(金子みすゞ・作詩、石若雅弥・作曲/マザーアース)からは、「お日さん、雨さん」「日の光」を。

『光る砂漠』(矢沢宰・作詩、萩原英彦・作詩/カワイ出版)からは「秋の午後」を。

週1回の練習で、1か月の間に7曲進みました。

この間の演奏会で歌った『海鳥の詩』(更科源蔵・作詩、廣瀬量平・作曲/カワイ出版)の「オロロン鳥」「エトピリカ」を10月の市民合唱祭でも歌うので、その2曲の練習も合間に挟みながら…。

しばらく休んでしまうと大変です。

 

北川昇さんの曲を歌ったのは、私は初めてだと思いますが、優しい、新鮮な感じがする曲ですね。若々しく歌いたい曲です。

 

石若さんの曲は、この間の演奏会で、合唱用にアレンジされたポピュラー曲を2曲歌いましたが、『少女のまなざし2』の曲は、ポピュラー曲とは印象が全然違います。当たり前といえば、まぁ、そうなんですけど。

いかにも金子みすゞさんらしい、少女の素直で純粋な感覚が表現された詩(金子みすゞさんと言えば、「私と小鳥と鈴と」が有名ですね)。その詩にピッタリな、かわいらしく、優しいメロディーと伴奏。

石若さんて、私より若いんですよね~。

この、『少女のまなざし2』からは、「雪」「このみち」も歌います。

 

そして、『光る砂漠』。

この曲集からは、10年ほど前の第5回演奏会で、「再会」「恋の詩でも読んだあとのように」「早春」「秋の午後」の4曲を歌いました。

その中から「秋の午後」を再び。

「さびしい道」と「ふるさと」もこれから歌う予定です。

 

詩を書いた矢沢宰さんは、21歳という若さで亡くなっています。

子供の頃に腎臓結核を発症して、入退院を繰り返していたんですよね。

自分の命、死と向き合いながら、日記や詩を綴っていたのでしょうね。

どんなに明るい曲調である「秋の午後」を歌っていても、病の床で、絶対安静を強いられながらも詩を書き続ける矢沢さんを、どうしても想像してしまいます。いい加減な気持ちでは歌えません。けれど、決して暗い、悲しい歌い方はしません。萩原さんが、この詩に最もふさわしいメロディとコーラスと、伴奏を、精魂込めて、作曲してくださったのですから。

 

萩原さんの曲は今までに何度も歌っていますが、叙情的な曲をたくさん作曲されていますね。

矢沢さんの詩に萩原さんが作曲。

あまりに相性が良すぎて、泣けそうになるフレーズがいくつもあります。

 

「秋の午後」。

病の床。生と死。秋の~やさしい日の光が~包み込むものたち。

この曲と、これから新しく歌う2曲は、矢沢さんがどんな想いで詩を綴ったのか、萩原さんが、矢沢さんの想いをどんなふうにして表現し、伝えようと思ったのか。お二人の気持ちをこの曲の中に感じ取りながら歌っていきたいです。

 

住んでました!〜コウモリ対策・その2〜

コウモリさん、やっぱりうちのシャッターボックスの中に住んでいました。
スプレーを使い始めて4日目くらいに姿を現しました💦
スプレーがかかってビックリしたらしいコウモリさんが、窓の半分くらいの高さのところまで落ちてきたので、私もビックリして慌てて網戸を閉めようとしたら、閉め終わる前にコウモリさんのカラダが引っ掛って(網戸、強く閉めなくて良かった〜(TT))💦
網戸開けて部屋の中に入ってきたら困るし、手で触るのも抵抗あるし、どうしよう!!とパニックになること2、3秒^_^;
コウモリさん、背中を向けた状態でモゾモゾした後、自力で脱出。

はぁ〜、良かった。
それにしても、コウモリさんの後ろ姿、かわいかったなぁ…なんて。

コウモリって、翼を拡げていないと、すっごく小さいんです。
種類にもよると思いますけど、にほんのコウモリで家屋に棲み着くタイプのアブラコウモリはホントに小さい。
手のひらの中におさまるサイズです。触りませんけど。
病原菌や、群れで棲み着く心配がなければ、そのまま住んでいてくれてもいいかな〜と思ってしまうほど。

そんなことをノンキに考えている間に、コウモリさん、帰ってきてました…。

そんなわけで、毎日フン掃除、毎夕忌避スプレー噴射。日課になってます。

ちなみに、忌避スプレーはコウモリの子育て期と冬眠期に使っても、追い出すのは難しいようですが。
とりあえず、この家は住み心地悪いな〜と感じてもらうために、毎日スプレーしておきます。

忌避スプレー、追加で3本購入しました^_^;